GWはヤマダ電機発祥の地、群馬に小旅行。
目的地は畳トートバッグや畳ブックカバーでお世話になっている
桐生にある松屋畳店。
途中乗換えで高崎駅に途中下車。
ちょうど読んでいた本「吉原花魁日記」の花魁が高崎出身だったので、
この花魁がちょうど高崎を後にし吉原に向かわなくてはいけなくなった
だいたい100年ぐらい前の風景と
自分の目の前にある風景のギャップに思いを巡らしました。
だってヤマダ電機がズゥドーンとあるんですから。
桐生はヤマダ電機が無いこと祈ってJR桐生駅に到着。
松屋畳店の大川さんと合流し、うますぎる群馬の割烹料理と赤城のお酒を嗜んだあと、夜の街に繰り出しました。
メイン通りの商店街は、ほぼシャッター通り(笑)。
それでも繁華街の近くにはなんとも場末なスナックのオンパレード。
スナック好きにはたまらんです。(人生で一回しか行ったことがありません)
実際にスナックに入ることはなかったのですが、
大川さんが「のぞいてみましょうか?」と慣れた感じでランダムにスナックの扉をノック。
これまた場末なおばちゃんがダミ声で「いらっしゃい」。
この期待を裏切らない紋切り型スナックスタイルがえらく気に入って
路地から路地を渡って猫のように夜の桐生を探索しました。
…
桐生の街はその昔(1300年前から)
織物生産の地として賑わっていたようで
街自体に技術もお金も、さらには独特のプライドもあった(今も)そうです。
実際、織物工場の特徴である三角屋根の跡地も街に点在していました。
バブルのころには「ガチャマン」と呼ばれる言葉もあって
職人が織機で「ガチャ」っとすると「一万円儲ける」
という意味の桐生造語を大川さんから教えてもらいました。
その他にも大川さんにはたくさんの話を聞きましたが中でもオモシロかった話。
JR桐生駅と、東部伊勢崎線に直結している新桐生駅の距離が離れている理由に、
二つの駅が直結していると容易に織物の職人たちが乗り継いで帰ってしまうので離した!
という桐生の人の囲い込み頭脳作戦も、
街をあげてやたら「うどん」を謳っているのですが、
そのことはかつては職人のためのインスタントフードだったことに起因している、などなど、
今の桐生の街の一つ一つの形成に「織物」という産業が根っこになっているのだな、と。フムフム。
地方都市に限らず言えることですが
織物の発達で桐生の街に多くの職人が住み込むようになり、
さらにその職人らが桐生の街で遊んでお金を落とすという図に
商業地と繁華街と風俗はセットになって一つの街が形成されていることに改めてきづかされました。
というのもあってか、
桐生の街を朝な夕な歩いていて
「仕事-遊ぶ」で形成された街の遺産(スナックとか織物工場)に、
人の人生を投影して、少し懐かしいような侘しいような印象が残る旅となりました。
んが!!!!!
GWの賑わいっぷりや若い人がやってる雑貨屋さんなどの人の入りを見ると、
かつてのようなバブリーな活気はムリにしても
また新しく再生しはじめるのでは??と。
大川さんも若くして松屋畳店を継ぐ意思をもってらっしゃいますし(なんと11代目)、
レトロな建物をいかしてオシャレかつオシャレなカフェ―なども作られているようです。
今、織物工場が世界遺産にという街をあげての運動もあるようですが、
レトロ風景に魅せられたスナックも世界遺産に組み込んで欲しいな~。ついでにおばちゃんも。
↑ちょっと前まで動いていたらしい。
…
最後に松屋畳店のことを書いておかなくては!
松屋畳店の11代目大川さんは
上述しましたが畳トートバッグや畳ブックカバーの良質な畳の半端をいつも提供してくださっている方です。
お店構えもカッコよく畳の種類から畳詐欺の話(ご老人に高額な値段で畳をいれる悪徳業者)まで
幅広くお話してくださいました。
この男、かなり信頼できます!!
ソモソモ小さいころから畳で育ってきたので
畳の良さは知っているつもりでしたが、大川畳博士を前にまったく無知を痛感。
(自分の家の畳は中の下と見破られるなど…哀しい…)
群馬県の桐生は私の住んでいるところから遠く
畳を搬入するには距離的にちょっと…と思っていて悔しいのですが
ぜひぜひ、群馬在住のみなさんは、松屋畳店で畳をいれてみてください!
畳博士が畳の正しい知識を教えてくれると思います。
松屋畳店 : 大川さんのブログ
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